本屋さんで
夢中で 本を 読んでいたら
誰かが 私を 呼んだ。
もう 記憶の 片隅で
忘れかけてた その名前。
聞き取れない くらいに 忘れてた 名前。
悲しいこと しあわせなことが
いっぱい つまってる その名前を
きれいな街の まんなかで 呼ばれて
顔を あげたら
知らない人が ひとり、
うれしそうに わたしの 顔を のぞき込んでる。
誰だろう、だれだろう。
首を かしげて いたら
「中川です。」って メガネの 奥の 目が
わらった。
あ!
それは
わたしが 手術をして
はじめて ひとりで あるけるように なった時
よかったと いって 泣いていた 先生。
中川先生。
小学校一年生の時の 担任の 先生だった。
はじめての 宿題の
「みえる みえる さくらが みえる」の
本読みを しないで 学校に行った日に
「どこか 痛いの? おなか? この字は
『みえる みえる』 だよ。」って
いっしょに 読んでくれた 先生。
歩いて 家まで 帰れなくて
自転車での おむかえに
「ずるい~、ずるいよーーーーーー」という
こどもたちに、
障害のこと、歩けない人も いることを
わかることばで せつめい してくれた 先生。
図工の時には 白と 黒の 絵の具の
色の 置き方を。
給食の 時には おかわりの 意味を。
音楽の 時間は げんきに うたうことを 。
みんな うれしくて
大声 はりあげて
「いちねんせいです、ひかりの 子!!!」って
うたった。
思い出が 次から 次へと
よみがえった。
「新聞や テレビで 見てますよ。
がんばってますね。
わたしはね、先生は もう おわって
趣味の ことなんかを やっていてね。」
「お父さんは お元気ですか?」
「あなたは 今、住んでるのは どのあたりの地区?」
「このごろは それ(車いす)ですか?」
いっしょうけんめい
いっしょうけんめい
車いすに なった わけを
せつめい してる あいだ
先生は 「中川先生の顔」に なって
わたしを みてた。
「それでは、ね?」
「はい。」と 本の中に まぎれた あと、
歩けるように なったことを
よろこんでいた 先生の目に
車いすの わたしは どう 映って いるのだろう。
そう おもって
そんなこと おもって
泣きそうに なるのを こらえて いたら
後ろから
「あなた、ぜんぜん かわっていないね。
すぐ わかったよ。」
がまんしてた 涙が 今 あふれる。
先生 ありがとう。
ひとりで がんばってきた つもりに なっていた
硬くなった わたしの 心に
神さまが 天使を おくったんだ。
生きているって 生きていくって
こうゆうことだよって。
また いつか
どこかで
会えますように。
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